「ありがとう」の語源、ご存じですか?

いつもありがとうございます。
行政書士の佐藤学です。
我が家では、いつも「ありがとう」という言葉が飛び交っています。
※特に妻の2人の子どもたち(高3男子&中3女子)がスゴいのである。
いまでは当たり前になっていますが、
一緒に暮らし始めた頃は、少し不思議に感じたことを覚えています。
コップにお茶を注いでも
「ありがとう」
お箸をとっても
「ありがとう」
虫を退治しても
「ありがとう」
これでもか!というくらい、「ありがとう」を伝えあっている家族。
しかもベリーナチュラルに…。
私自身、物心ついたときから「ありがとう」は大切にしたい言葉だと思っていて
その時からずっと相手に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えています。
「ありがとう」と言うことは礼儀であって、言うのが当たり前なのかもしれません。
でも、それが普通にできていることがスゴいことだと思うのです!
子どもたちの学校での様子は、あまりわかりませんが
きっとお友達や先生にも惜しみなく伝えていることでしょう。
ふと、「ありがとう」の語源が気になったので、ちょいと調べてみました。
↓ ↓ ↓
「ありがとう(有り難う)」の語源は仏教に由来すると言われているそうです。
お釈迦様が説かれた
「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」に「ありがとう」の語源があるそうです。
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ある時、お釈迦様が阿難(あなん)というお弟子さんに、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねた。
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、お釈迦様は、次のようなお話をされたそう。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太が浮いている。丸太の真ん中には小さな穴がある。
その丸太は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。
百年に一度、浮かび上がるこの亀が浮かび上がった拍子に、
丸太の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、
「お釈迦様、そんなことは、とても考えられません」
「絶対にないと言い切れるか」
「確かにないとはいいきれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が丸太の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、お釈迦様は教えている。
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ちなみに、私の趣味は、お寺巡り・仏像鑑賞です(突然すぎる^^;)
この辺もおいおいお伝えしたいなと思っております!
「ありがとう」が飛び交う我が家。
常に感謝の気持ちを忘れない心を持っている、そんな家族を誇りに思っているのでした。
「あなたは感謝の気持ちを素直に伝えていますか?」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
追伸
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